人生山あり谷あり

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人生山あり谷あり

バブル時代に生きていた私は本当に世の中の流れだけで生きていたような無能な人間でした。

大学を卒業して北九州のシステム会社へ就職しましたが、決めたきっかけも特になく時代がコンピュータだったのでシステムエンジニアの道を選んだのです。

まさにバブル時代に生きた無能なバブル社員だったのです。

5年くらいすると能力の限界を感じ、システムエンジニアの道を断念しすぐさま福岡の通信機器会社へ転職しました。

そこでは主にIT機器の営業を担当です。

前職のシステム会社と比べて企業のブランドや待遇などが大きく下がり、給与も3分の2になりました。

レベルアップ転職ではなくレベルダウン転職だったのですが、自分にあった仕事探しと考えれば転職は意外に有意義なものだったと思っていますよ。

天職を探す

営業は基本的に時間の拘束がありませんし、実力主義の職種です。

実は昔から共同作業などの集団業務が苦手な人間だったので、自分の才能を活かせる仕事をしたかったのです。

ですから自分で試行錯誤しながら売上を上げていくという営業職にチャレンジしました。

どうしたら売れるか?」「客は何を求めているのか?

分析しながら行動へ移す仕事こそが天職ではないかと思ったのです。

次第にそれが面白く、何となく学生時代のジーンズショップのバイトを思い出したのです。

恐らく、私の仕事のルーツはそこにあり、楽しさを感じながら進化していく仕事が天職なのだと気づいたのです。

仕事の楽しさ

当時は提案型営業で物を売るということが少なく、ソリューション(問題解決型)型営業が浸透していなかったのです。

ですからそれをいち早く実践に取り入れたため、売上は徐々に伸びていきました。

何より営業は売上さえ上げていれば時間を自由に使えるので、空いた時間でネットショップを作ったり、ウェブサイトを作ったりと副業にも励んでいました。

今だから言えますが、副業と並行して収入を得ていましたので、収入はどんどん伸びて行ったのです。

社会人になって始めて仕事が面白いと感じたのがこの1997年から2005年くらいの時期だったと思います。

しかし、それも束の間。

この時期はバブル崩壊の余波で会社の統廃合が続き、徐々に仕事への不満が高まっていた時期でもあったのです。

そのため、私は思い切って2007年に退職を決意し、サラリーマン生活に終止符を打つことにしました。

そして同年に資本金300万で会社を立ち上げたのです。

その会社では副業でやっていたホームページ制作を中心としたシステム制作、機器販売など、とにかくお金になることは何でもやったような気がします。

信用力も付けるため東芝テックの代理店契約や大手IT商社のダイワボウ情報システムなどの販売代理店契約を締結し、とにかく社会で一人前に認められる会社を育てていきました。

上手くいかない人生

起業というスタートは良かったのですが、間もなくしてサブプライムショックが起こり、さらに追い打ちは翌年のリーマンショックでした。

ですからあるはずの仕事が全くと言って良いほど入ってこなかったのです。

この時だけは流石に神様を恨みました。

精神的に追い詰められる時もありましたが、趣味のパソコンのリペア作業がそれを癒してくれたのだと思います。

とにかく、仕事が無いので、気を紛らわすため時間があればブログやYOUTUBEで情報発信していました。

こういう情報があったら便利だろうな!」「こういう写真があったら修理を間違えないだろうな」など、常に自分がリペアをする時「どんな情報があったら助かるか?」などを考えながら、ブログをアップしていたのです。

これも提案して問題を解決する営業のようなものですから、日本の全人口をターゲットに営業活動していたものなのでしょう。

今考えれば何かを深堀したかったのだと思います。

ネットの反響

自分が文章を読むのが苦手なので、イラストや写真を上手く使いながら解りやすく解説するブログを目指していました。

そこで問合せフォームを作ると徐々に相談を受けるようになったのです。

日増しにアクセスも増え、気づくといろいろなところで私の分解ブログが紹介されるようになり、問合せも驚くほどの閲覧数になっていたのです。

さらにはオークションサイトで分解した部品やdynabook関連会社から仕入れたバッテリーなどを売ると飛ぶように売れたのです。

当時ヤフーオークションでは外部リンクが自由でしたので、自分のブログやYOUTUBEサイトを貼り付けアクセスを増やしパフォーマンスを上げながら分析していきました。

どういうページが読まれ、人が何を知りたがっているのか?どういう機種が多いのか?などを細かく分析していったのです。

そういう細かな分析が本業のスキルに役立ちネットを利用した新しい営業スタイルを身に着けたように思いました。

目標は専門店

そんな時オークションサイトで部品を探していた時のことです。

子供の頃の「プラモデル専門店」に入った時のワクワク感に似ていることに気づいたのです。

プラモデル店に入るや否や「あれ!あるかな~」

と心躍らせながら入ったものです。

私は子供の頃からタミヤのプラモデルが大好きで暇があれば近所のタミヤのプラモデル専門店に行って一日過ごしていました。

いろいろな部品や模型、ジオラマが分かり易く陳列され、展示されているのでイメージが湧きやすくゆっくり選べたのです。

大人になって忘れていましたが、このワクワク感はパソコンでも基本同じだったのです。

もし、仮に自分と同じ気持ちを持っている人が人口の1割居たらパソコン部品の専門店があったら嬉しいだろうなあ~と思い、試験的に2017年にインターネットショップの再生部品工房 ダイナショップ福岡を立ち上げました。

ここでは機種をdynabookに絞りこみノートパソコン専門の部品を販売しました。

取引先から処分を依頼されたパソコン、ジャンクショップで購入したパソコン、もちろん中古パソコンなどを分解してどんどん部品化して自分のお店に並べてきました。

最初は部品点数100点から500点、1000点と徐々増やしていったのです。

今更部品ショップ?

そんな需要あるの?

と言われる方がほとんどだと思いますし、そんなガラクタ売れるの?

と思う人が大半だと思いますが、この分野だけが専門店が無かったのです。

当時はヤフオクやアマゾン、メルカリ、楽天フリマなど数々のネットショップがありましたが、ほとんどが個人出品ですからそんなに点数もありませんでした。

そういうごちゃごちゃしたモールで自分の欲しい部品を探せるか?

ほとんどの人は「ものが多すぎて探すのに疲れる」と思っていました。

特にヤフーオークションでは「詐欺出品」「海賊版」「出品者とのトラブル」など、一般の方からすると犯罪の温床の場所だったのです。

物の多さによる探し難さ、犯罪、トラブルなどの不安などが多く、これからの未来は小売りつまり専門店へシフトしていくと気付きました。

さらには、コロナをきっかけに悪質な出品者などが増えたので、一層フリマやモール離れが加速したということもあり、ちょっと面白い展開になったのです。

店舗運営本格化

最初は中古PCを分解し、部品化して再生販売していましたが、徐々にリピーターが増えあまりの注文の多さに部品の供給が間に合わなくなったのです。

分析するとブログやYOUTUBEから人が土砂のように流れ込んできているのです。

その為、海外の部品のサプライチェーンと接触し、部品の直接仕入を考えたのです。

それを可能にしてくれたのはebayのサイトです。

今では複数の中国や香港の部品サプライチェーンと協議しながら全PCメーカーの部品を仕入れられるようになったのです。

宣伝費

宣伝とかする必要はないのですが、困ってる人にこの店を教えたいという欲求があります

それを叶えてくれたのがSNSやブログです。

店舗運営で一番助かったのがその広告宣伝費でしょう。

広告をしなくても多くの方がブログYOUTUBE、Facebookからお店に訪れ、部品を買って行ってくれたのです。

当時は東芝テックの代理店を前面に出していたので、その東芝ブランドが安心感を与えたのかもしれません。

しかしながら店舗が繁栄して行けば当然法律も関わってくるのが日本です。

メーカーPCを分解して売ったり、それをブログで公開したりすることが日本の法律に抵触しないか?また、海外のバルク品を売って違法ではないか?

など、国内営業での合法性なども知人の弁護士に頼んで調べてもらったり、輸入時の関税やライセンスの問題など弁理士も含め少しずつ試験運用から本格営業へとシフトしていったのです。

このセルフリペア専門店は「こんな部品あったらなあ~」という簡単な発想から生まれたもので、本来なら不燃ごみだったものを部品として再生しているので今流行りのSDGSにも繋がってしまうのです。

継続させる部品ビジネス

ビジネスはどんな良い発想で成功してもそれを継続させていくことが非常に難しいものです。

それは真似する人がいるからです。

その点、このビジネスは参入障壁が非常に高いビジネスと言っても良いでしょう。

集客力や部品に知識などはそう簡単に真似できるものでもないのです。

分解して部品を売るだけであればヤフオクや大手フリマを使えば簡単ですが、それでは小遣い稼ぎしかならないのです。

事業としてビジネスを作っていくにはそれなりの投資が必要です。

私が考えたのは企業向けに部品ビジネスを浸透させていくことです。

つまり情報化社会になり、パソコンのトラブル時の修理損失や機会損失、データの保全などを行い、できるだけパソコンを自分の手元から遠ざけず問題解決させる技術を養って欲しいのです。

それが部品ビジネスの根幹でもあるセルフリペア技術の育成なのです。

これからの社会はパソコンが重要アイテムになり、パソコンが無ければ仕事ができないという時代に突入すると思います。

そうなるとパソコントラブルを自己完結できるようにしておかなければそこで仕事が滞ってしまうという機会損失を発生させます。

部品ビジネスは単に部品を売るだけではなく、安全を担保しながら進めなければならないので意外と奥が深いビジネスと言っても過言ではないでしょうね。

以上

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