気分爽快!大名武久のアクティブに生きる

大名武久のおもしろメンタルフィットネスブログ

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幸せとは何か?

      2018/09/27

最近、何となく思う。

幸せに思う瞬間だ。

先日、イレウス(腸閉塞)になって以来、「食べられる」ということへの幸せを感じている。

何でもないことだが、地獄から逃げ出せた人間としては単純なことが幸せに感じるものだ。

先日も書いたが、知人が癌になり、現在大阪の某病院で治療している。

ここは最後の砦?つまり、末期癌患者が「藁にもすがる思いで」で駆け込む言わば駆け込み寺という病院でもある。

その治療の様子が時々メールで届く。

私もイレウスの時は今でいう「半端ない苦痛」を味わった人間なので、そのメールの内容は何とも言えない思いがする。

感情移入だろうが、

あの時の苦痛もフラッシュバックされ、何となくいたたまれない思いにかられてしまうのだ。

もちろん、彼女は苦痛な上に食べられない。

その上、治るという保証もない。

私のように術後イレウスは比較的短期間の苦痛さえ味わえば、改善する可能性も高く、私は過去に何回かそれを経験しているので、治る「希望」があった。

しかし、不治の病と言われる癌患者はどうだろうか?

苦痛の期限が見えないのだ。

その上、精神面での苦痛もかぶさってくるだろう。

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4大欲

人間の欲にはいろいろな説があるが、私は「4つの欲」で幸せを感じると考えている

それは「意欲」「物欲」「食欲」「性欲」の4つだ。

この4つの欲が無くなった時、人間は生きるという楽しみを失ってしまう。

イレウス入院の時はこの4つの内「物欲」「食欲」「性欲」が欠けてしまった。

幸いにも「意欲」(先への思い)だけは辛うじてあったのだ。

つまり、「治そう」という改善する意志だ。

彼女のメールは次第にこれが弱く感じてくる。

仕方がないが、こうなると返す言葉が見付からなくなるのだ。

やはり、苦痛や絶食、不安などが続き、治る保証がないとなると人間は正常な精神の状態ではなくなる。

これは痛いほどよくわかる。

平凡な幸せ

身近に居るそういう人や、事件に巻き込まれて命を落とす人、窮地に立たされている人などを見ていると「平凡」ということがどれだけ幸せなのか?良く解る。

ましてや、イレウスの苦痛をこの50歳になって改めて体験すると普通の生活が幸せに感じてしまう。

普通に食べられるという、この「普通」が何となく幸せに感じてしまうのだ。

私には今のところ何の持病もなく、イレウス予防で少し気を遣いながら食事をしている程度で制限がない。

幸い、食べたいものが食べられないということもない。

何の不自由さも感じてないというのが現実である。

気軽にルネサンスでエアロを楽しみ、食べて、飲んで、寝る。

サラリーマンではないので、人間関係の苦痛や制限、拘束などもない。

自らの目標に向かって事業をコントロールして稼いでいるだけだ。

これも幸いだが、「お金を稼ぐ」ということを面白く感じている。

金儲け?が趣味というと、強欲な人間に感じてしまうかもしれないが、私はそこそこのお金とそこそこの楽しみがあれば、それ以上は人生に望んでいない。

例えば、良い家に住みたいとか、外車に乗りたいとか、海外旅行を楽しみたいとか、良い女と浮気したいとか、その他一般的な贅沢といわれるものだ。

それがない。

もちろん、4大欲はあっても、その中に特別なものは無い。

自由気ままに強弱がある生活であればそれで良い。

幸せとはそういうものではないのだろうか?と思ってしまう今日この頃だ。

今から樋口さんのエアロでも受けてこよう

では、また!

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