気分爽快!大名武久のアクティブに生きる

大名武久のおもしろメンタルフィットネスブログ

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認知症と精神病院

      2017/11/12

今の時代、何があっても不思議ではないようになってしまった。

「行ってきます」と言って、帰りは「骨壺?」で帰ってきたなどのニュースは日常茶飯事だ。

おまけにテロ、殺人、SNSときたもんだから、今までの概念では到底ついて行けない。

自殺者の急増?

一緒に死にましょう?

少なくとも私の辞書をどんなに探してもそれだけは無い。

仮に死にたい時があっても、1人でこっそり死ぬと思う。

政治や経済、企業、そして世の中の動向をみても、ぼっちの人や弱者の方は死にたくなるという気持ちは解らないこともないが、SNSでそれを募る?

いや~。。。。クレイジーな世の中になったものだ。

そして最近はやたらガンで死亡する人が多くなった。

食べ物?いや、放射能汚染?・・環境有害物質かもしれない。

健康に気を遣っていても、空気が有害であれば避けようがない。

先日亡くなった義父もガンと宣告され1年でこの世を去ってしまった。

これまで人間はなかなか死なない生き物だと思っていたが、意外ともろいものだと痛感した。

そう考えると、明日が無事迎えられるか?という気持ちで常に生活するということが良いのかもしれない。

そんな義父もいろいろと負の遺産を残して去っていってくれたお蔭で私は借金の取り立て屋みたいなことまでやっている。

弁護士とは無縁だった人生が一転した。

そして、ここにきて義母も認知症を発症してしまったのだ。

悪いことが続く時はやはり続くものだ。

父の死との因果関係は明確でないが、私としてはそれが最大の要因と思っている。

認知症の最大の敵が「環境の変化」だからだ。

さらに追い打ちをかけるように悪いことは続き、アルツハイマー型認知症という診断を受け、予想通り施設で暴力沙汰を起こしていると連絡があった。

穏やかな母はそんなことするように見えないが、病魔とは人格まで蝕んできているみたいだ。

とりあえず、認知症専門外来、つまり精神病院にホームの担当者と連れて行き、再度のその暴力に関しての診断を受けた。

結果は入院を勧められたということになる。

医者やホームの人間はビジネスライクにことを運びたがる。

彼らにとっては人間のハンドリングはビジネスだからだ。

だからと言って、流石にこの流れだけには乗れなかった。

精神病院の入院となると家族は大きな決断をしなければならないからだ。

ご存知の通り、精神病院の入院病棟とは「収監」と同じで、プライバシーなど全く無い。

叫んでいる人間が居れば、魂を抜かれた動物のような死人の目をした人間もうろうろしている。

鉄格子、拘束服など、ドラマや映画などのワンシーンばかりが目に飛び込んでくる。

軽度、重度、お構いなしに放り込み、後は薬でコントロールしていくのがこの一般的な精神病院の入院病棟だ。

これには素直にハイと言えなかった。

確かにアルツハイマーには軽度、重度の境目が無い。

進行するものは進行するし、しないものはしないからだ。

しかし、どうみても普通の母を単に施設の「暴力」というカテゴリーでくくってしまい、精神病棟に入れるというのが考えられない。

私は診察の後、義母を近くのファミレスに連れて行き、妻と義母の三人で昼食を一緒に取った。

子供のようにランチを頬張り、食べ終わると近くの子供が食べていたパフェを欲しそうにしていたので、それも注文して一緒に食べた。

こんな人を精神病棟に入れるのか?

しかし、アルツハイマー型認知症は極めて難しい病気になる。

発症プロセスが分かっていないからだ。

普段は大人しいが、時間帯にも依存して、人格を変えてくる暗黒の病になる。

母の厳格さや、健康状態を考えると、ホームの担当者が言っていることも理解できる。

とりあえず、今私ができることは片っ端から情報収集をして、最良の方法を考えるしかないのだろう。

安易に流れ作業のまま、医師の言う通りに精神病棟という選択肢を選ぶことは絶対にできない。

なぜなら、この病気は治らないからだ。

このまま行けば薬付けにされ、ベットに縛り付けられて、廃人になりこの世を去っていくだろう。

そうならない為にも家族としてできることはそれを真剣に考えてやることだと思う。

生活の世話はプロに任せているので、大きなことは言えないが、その方向を指示してあげるのはやっぱり家族しかいないのだろう。

極めて難しい問題に直面してしまった。

 - 独り言